風呂と香水とココシャネル

ローマ遺跡を前にいつも考えさせられ事がある。それは欧州ばかりでなくアフリカにまで残る風呂遺跡である。2千年前ローマ人が、あれだけの領土を征服した原動力の一つに、風呂をあげる学者が居るが、ローマ人が征服した地に残る大浴場の遺跡をパリ、ロンドン(バース)は言うに及ばずアフリカの僻地にまで見ると、なるほどと納得出来る。
 その風呂文化がヨーロッパでは廃れ、唯一東ローマ帝国の地トルコ方面に細々と引き継がれ、トルコ風呂という変な形で日本に入って来た事は皆も知っているかも。

欧州にて風呂の習慣が廃れた理由は、中世ペストなどの伝染病が定期的に流行ったからとのこと。風呂は皆が肌を間接的に接する所として一番ポピュラーな場所であったからであろう。病原菌が何であるかが分からなかった時代では仕方がなかったろうが、お陰でヨーロッパ人は中世において随分と不潔な生活を送っていたらしい。

フランスのベルサイユ宮殿でおなじみのルイ14世、彼も一生の間に2回しか風呂に入らなかったことは歴史が示している。しかし彼は風呂の代りに毎日体をアルコールで拭いたと言われている。そのアルコールの中にいつの頃からか香水を入れて出来たのがオード・トワレとのこと。
 また宮殿に常設トイレがなく、「おまる」で済ませていたことを考えると、その臭い消しに香水が発達したというのもうなずける。そう言えば平安貴族も香水の代りに「お香」を使っていたではないか。
貴族の恋には昔から良い香りが必要不可欠だったようである。

エジプト・メソポタミア以来、花が有る所には何処でも香水は作られていたようだが、やはりニース・カンヌ当たりの南仏がブランド的にも有名であろう。南仏の旅には必ず香水工場見学コースがあり、結構買ってしまう。

そこで有名なシャネルの5番だが。ココ・シャネルが北欧を旅した時、その地の白夜を見てイメージした香水だと言うのを何処かで読んだ事が有るが、真実はいかがなものか。どうも売らんが為めの作り話の様な気がするが。
 私も白夜は経験したが、回りが寝ているゆえ、ひたすら「静けさ」しか記憶にない。尤も愛する2人で行けばシャネルの5番の華やかな気分になれたかも知れぬが、私の場合はなんとも寂しい白夜の経験であった。きっと北欧は1人で行っては行けない所なのかも知れぬ。

サラリーマン諸君よ若い女性達が香水をデイト前に付けているのを見たら「体臭の少ない日本人には安いトワレのほうがお勧めだよ」などと言いながら上記シャネルのお話でもすると貴君の株も上がるかも。最もこの頃の若い男性もトワレを付ける人が増えたとか。おじさん達も負けずに柑橘系で若く迫ってみてはいかがか。

シャネル5番の香水を愛用していたマリリン・モンローが日本に来て記者会見で言った時の有名な逸話でこのエッセイを締めよう。
記者が聞いた 「モンローさん、寝る時はどんなネグリジェを?」 
モンローは言った。 『あらーん、私のネグリジェはシャネルの5番よ』
君の奥方は言った。 『あたいのはチャンネルの5番よ』  何か着て寝ろよーてかー!       

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